最近お茶業界を少し賑わせているニュースと言えば、荒茶の生産量日本一が鹿児島県となり静岡県が二位になったことでしょうか。今回はこの件に関して個人的な想いを少し書いていきたいと思います。
正直どうでもいいです
まず単刀直入にいうと、私個人は静岡県の荒茶生産量が首位から転落したことに対して正直どうでもいいかな・・・と思っています。またこのニュースを受けて、再び生産量一位を目指すような発言をしている方もいましたが、そちらの方はもっとどうでもいいことだと思っています。
もちろん生産量日本一という称号から得られる利点もあるでしょうし、今までの人の営みによって得られたものであるため全く価値の無いことだとは思いません。また生産量日本一にこだわるのも否定はしませんが「どうぞ勝手にやってください・・・」といった印象を持ってしまいます。
私個人が目を向けたいこと
単語の連想ゲーム的な感じになってしまいますが、静岡と言えばで思い浮かべる言葉として『お茶』が出てくる方はそれなりにいるのではないかと思います。ではその一方でお茶と言えばで思い浮かべる言葉はどのようなものになるでしょうか?
抹茶や煎茶などのお茶の種類、ペットボトルや急須などの飲み方に関する単語、宇治などの地名、あるいは「リラックスできる」などと言った行動や心理的なものなどなど様々だと思います。『静岡』が出てくる人はそこまで多くないと思われますし、少なくとも静岡からお茶を思い浮かべた件数よりは確実に少なるなるでしょう。
産出量日本一は「静岡⇒お茶」を思い浮かべるに重要となる称号かもしれませんが、お茶を提供する者として私はお茶から思い浮かべる言葉の方を重視したいと思っています。生産量日本一はしょせんただの数字でしかありません。なぜお茶を飲むのかお茶を飲むことで何を得たいのか…。お茶から思い浮かぶこと、そこへ寄り添うことが生産者としては重視したいことであり、生産量日本一というただの数字を満たすのが主要な目標になるのであれば、私は絶対にそこへは関わりたくありません。
そのため、今回のニュースに関して正直どうでもいい・・・と言うような思いを抱きました。ただ、もし心の中に引っかかるものがあるとすれば、どちらかと言うと生産量が日本一ではなくなったことでは無く「もう一度日本一を取り戻す・・・」というような目標を掲げ頓珍漢な方向へ向かう可能性がある事に対してやや気になっています。
荒茶の生産量が首位から転落したことに関して「どうでもいい」などと言ってしまうと一部の方からはお叱りを受けそうでもありますが、仮にそうなったとしても私個人の想いは変わらないでしょう。生産量日本一という称号の裏にある人々の営みまで否定する気持ちはありませんが、それはただの数字でしかないためそれに振り回されるのは勘弁。それよりももっと目を向け向き合うべきことがあると個人的に思っています。