多くのお菓子類やアイス、そして飲み物で利用されている抹茶。そして、普段飲んでいる煎茶や番茶などなど…。日本には様々な種類のお茶があり、産地も至る所にあります。
しかし、お茶の飲む文化やお茶の樹(チャ)は、もともと日本にあったわけではありません!実は、中国から伝わってきた文化なのです(^^)/
日本で最も古く、そして最も信用できるお茶の記録は、平安時代(西暦815年)の日本後記に書かれているものになります。
始めは中国文化を取り入れる形でしたが、時代の移り変わりとともに日本独自のお茶が作られるようになりました。今の日本茶があるのは、はるか昔に中国からお茶の文化が伝わってきたから…。中国なしにお茶の歴史は語れません。
今回は、日本にお茶の文化が伝わる前、どのようにお茶が利用されてたのか?いつから利用されていたのか?お茶の始まりについて迫っていきたいと思います!
神話の世界では5000年前から
まずは茶が利用されたきっかけともなっている神話についてです。
今から時の遡ること約5000年、中国の「神農帝(神農)」という神様の話になります。神農帝は人々に食べても良い草、つまり毒にならない人が利用できる植物を教えるために、1日に何十という種類の植物を噛んで、薬効を確かめていたそうです。
しかし、植物の中には毒を持つものもあります。そのような植物を口にし毒に当たった場合は、お茶の葉を噛んで毒消しをした、つまりお茶の葉を利用して解毒していたと伝えられています。
今ではお茶の成分の1つである「カテキン」は、抗菌効果など様々な効果があると立証されていますが、昔の様々な書物にお茶の薬効や覚醒作用が書かれています。つまり、お茶の効能は昔から認知されていたことになりますね(^^)/
神農帝のエピソードは、お茶の持つ薬効を目的として、薬としてお茶を利用し始めたことを想像させるものになります。
飲むお茶、食べるお茶
日本ではお茶は飲むものとして利用されています。実際、中国から伝わってきたお茶の利用方法も飲むものでしたが、どのような方法で利用を始めたのかについては、ハッキリとした答えはありません!
お茶の樹は中国の雲南省の辺りが原産地とされています。そこから、インドや日本などへお茶が広がって行ったとされていますが、この原産地ではお茶の葉を直接食べる文化もあるのです。
生のままサラダにして食べる文化(涼拌茶:りょうばんちゃ)や、お茶の葉を摘んで蒸して、筒などに詰め込んで漬物にして食べる文化(ミアン:雲南省・タイ)(ラペソー:ミャンマー)などもあります。
地域や民族によっても、お茶の利用方法はそれぞれ違っていたりするため、一概に「お茶の利用は食べることから、あるいは飲むことから始まった」と断言することはできません。
しかし、食べる文化よりも飲む文化の方が、より大きく発展し世界へ広がり、現在に至っていますね…。
新茶の季節になれば、お茶の葉を天ぷらにして食べたり、茶殻をおひたしにすることはありますが、お茶の葉の漬物はぜひ食べてみたい所です(>_<)
植物としてのお茶
お茶は、茶の樹の葉を収穫し乾燥させて作られますが、茶の樹がなければ当然お茶はできません。(植物としての茶は「チャ」製品の状態の茶は「茶」と表記されることもあります)
お茶の樹の原産地は、中国の雲南省の山岳地帯だと現在では推定されています。
お茶の利用価値が人々に認められたことで、徐々に各地へとお茶の種やお茶の文化が広まっていくことになるのですが、その過程でお茶は大きく2種類に分かれることになります!
1つは「アッサム種」もう1つは「中国種」です。
アッサム種は主にインドなど、気温が高い地域で栽培されている種類の茶の樹です。紅茶への加工が向いているという特徴もあります。
中国種は比較的寒さにも強い種類の茶の樹です。緑茶やウーロン茶への加工が向いている特徴がありますね。
ちなみに、日本での栽培に向いているのは中国種で、実際に栽培されているのも中国種がメインですが、中国種とアッサム種をかけ合わせた雑種(印雑系と言ったりします)も栽培が行われています。
その体表的な品種が、今花粉症に効果があるとされ花粉シーズンになると注目を集める「べにふうき」という品種です。
紅茶に向いている品種とされています。「べにふうき」の「べに」は漢字で書くと「紅」になります。”紅”茶に向いているアッサム種の特性が含まれているため、アッサム種と中国種の雑種には「べに・紅」という名前が付いたものが多いです。